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水戸地方裁判所下妻支部 昭和52年(わ)361号 判決

主文

被告人塚本育五郎を懲役一〇年に、同永井喜世を懲役五年に同小嶋周一を懲役一年六月に各処する。

被告人塚本育五郎、同永井喜世に対し、未決勾留日数中各七〇〇日を、それぞれその刑に算入する。

被告人小嶋周一に対し、この裁判確定の日から三年間その刑の執行を猶予する。

被告人塚本育五郎から押収してある切出しナイフ一丁を没収する。

理由

(罪となるべき事由)

第一  被告人塚本育五郎は茨城県結城市《番地省略》所在のスナック「チェリー」経営者A子の夫、被告人永井喜世同小嶋周一は同スナックの馴染み客であるが、昭和五二年六月二五日午前零時ころ、酔余右スナックに入って来た岩田徳次(当時四四歳)が「俺はピストルを持っている。俺にさからうとぶっ放すぞ。」「五郎はいないか。五郎を出せ。」などと言いながら執拗にからんだため、同日午前一時三〇分ころ、被告人小嶋において右岩田を店外路上に連れ出してなだめたものの、なおも同人がつきかかって来る気勢を示したため、被告人らは憤慨し、ここに共謀のうえ、被告人小嶋において岩田の胸倉を掴み、同人の太股を足蹴りし、被告人永井において同人の太股を足蹴りした上、その顔面を右手拳で殴打し、被告人塚本において同人の下腹部を膝蹴りし、顔面に頭突きを加えた上、手拳で顔面を殴打し、前記スナック前の大谷石の塀に同人の後頭部を打ちつけるなどの暴行を加え、よって、同人に対し、全治一か月以上を要する脾臓破裂、噴門部後腹膜下出血、右腎臓内出血両肺挫傷等の傷害を負わせ、

第二  更に、被告人塚本育五郎、同永井喜世は前同日時ころ、右第一記載の傷害により意識を喪失した右岩田を、前記スナック前路上から約一二二・八メートル離れた同市大字上山川乙二七六番地付近路上まで引きずって行き、右傷害事件を隠ぺいするため、同人を交通事故によって死亡したもののように装って殺害しようと企て意思相通じてここに共謀の上、同所において仰向になっている岩田の左側から被告人塚本が、左手で岩田の股の辺りを、右手で頭の下辺りを、さらに右側から被告人永井が、右手でその股の辺りを、左手で肘の辺りを持って持上げ、共に反動をつけて同人の頭頂部を歩車道の境界として設置された高さ二五センチメートルの縁石に激突させ、よって、そのころ同所において、同人を頭蓋底骨折、脳挫傷により死亡させて殺害し、

第三  被告人塚本育五郎は、長兄の娘B子とその夫C(当時二九歳)との夫婦仲が悪く、離婚話が持ち上った末、別居生活をしていることを聞き、右二人の仲をとりもとうとしたが、案に相違して二人の仲が旧に復せず、却ってCがD子(当時二七歳)と同棲生活を始めていることなどに立腹し、

一  昭和五二年五月一九日午後一〇時三〇分ころ、同市《番地省略》C方二階六畳間において、同人に対し、その顔面、胸部などを足蹴りするなどの暴行を加え、よって、同人に対し、加療約二週間を要する顔面、左頸部打撲傷の傷害を負わせ、

二  さらに、前同日時場所において、D子に対し、その顔面を手拳で殴打し、その肩などを足蹴りするなどの暴行を加え、よって、同女に対し、加療約二〇日間を要する右胸部、顔面打撲傷の傷害を負わせ、

第四  被告人塚本育五郎は、

一  同年五月二二日午前二時三〇分ころ、栃木県小山市城山町二丁目一番一号のスナック「こいさん」店舗内において、茨城県結城市に本拠を置く暴力団E組組長の娘F子(当時二五歳)から挨拶されたのに対し、「Eの娘がなんだ。粋がっているんじゃねえ。おまえを殺してやる。」などと同女の生命、身体に危害を加える旨を述べて同女を脅迫し、

二  前同日時場所において、業務その他正当な理由がないのに刃体の長さ約六・九センチメートルの切出しナイフ一丁を携帯し

たものである。

(証拠の標目)《省略》

(判示第一、第二の事実についての弁護人及び被告人らの主張に対する判断)

一  再製記録の証拠能力について

被告人永井の弁護人は、昭和五四年八月七日当庁に発生した火災のため、同日までに提出された証拠書類はすべて焼失し、その後訴訟関係者から右焼失書類の写しを収集して記録の再製が図られたが、焼失した証拠書類の原本と再製記録との内容が同一であることについて、公判期日において証拠調が実施されていないこと、本来写しをもって証拠とすることは刑事訴訟手続上違法であって、証拠能力を有しないこと、さらに公判手続の更新に当っては再製された書類について新たな証拠として取調べられるべきものであるが、これには作成者及び供述者の署名押印がないから、本来証拠能力を有せず、従って公判手続の更新によって適法な証拠となるべき理由はないこと等を主張するので、この点について判断する。

(一) 火災によって記録がすべて焼失したが焼失前にすでに証拠書類に基づいて適法に証拠調がなされている場合、その証拠調に関する公判調書が焼失しても、証拠調の結果を公判調書以外の証明方法によって証明することが許されることは判例の認めるところである。そこで本件においては公判調書の正確な写しが存在しており、それによってすでに証拠調が適法になされたことは証明できたわけである。

その場合においても、証拠書類の内容が不明であれば、すでになされた証拠調も中味のないものとして無に等しいことになるが、証拠書類の内容が判明している限り、その証拠調は勿論有効である。

(二) ところで、本件では元の証拠書類の謄本或は写し等が存在し、これに基づいて、さらに復写機によって正確に復写する方法によって記録を再製されたものであるが、ここにいう証拠書類の写しとは、あくまでもすでに適法に証拠調がなされた証拠書類の内容を再現する手段として写しを使用する趣旨であって、新たに証拠調をするに当って、写しを証拠として証拠調をするのとは全くその趣旨を異にするものである。従って前記弁護人が主張するような批難は当てはまらない。

(三) 次に、焼失した原本と再製書類との同一性について証拠調がなされていないとの主張については、現代では昔と異なり優秀な復写機があるので、警察、検察庁においては証拠として提出した原本の外に、その後写された書類が残っている場合が多く、その場合にはその写しと原本との同一性を見きわめることはきわめて容易であって、その内容がそごすることは、特段の事情のない限り考えられない。

そして再製記録と原本との同一性の証明については、実体関係にかかわるものではあっても、そのこと自体は訴訟手続上の事実と考えるべきであり、さらに再製の手続はすべて、中立の立場にある裁判所がなし、対立当事者がなすものではないから疎明では足りないとしても、その証明の程度は、必ずしも厳格なる証明を要せず、自由なる証明で足りると解すべきである。

そこで、記録再製に当っての裁判所の手続としては、担当の裁判所書記官が焼失記録の謄本或はその写し等を関係者から収集し、その出所と同一性を調査した上、不審の点があれば、担当裁判官の意見を聞いた上、その同一性ありと認められるものについて、復写機に基づいて機械的に復写再製した上、右の手段で再製ができた旨を、又再製が不可能であったものは、その旨の報告書を作成し、これを記録に添付することになっている。従って、その同一性の点に関しては内部的にはすでに調査済みであり、しかもその殆んどが、その再製書類自体でその同一性を判断できるものばかりである。以上の実質的理由によって、特にこの点に関しては、公判廷における適法な証拠調を要する厳格なる証明による必要はないものと解する。

ところで、記録が再製された場合に、これを公判廷に顕出する手続として裁判所において記録が再製された旨、即ち原本と内容の同一な書類が復原され、これを公判廷に顕出して原本と同様に扱う旨を表明した上、なお公正を担保するために、当事者に対して異議を述べる機会を与えることになるが、その際異議があれば、同一性についてさらに調べた上、若し同一性に疑のあるものは排除することになるし、又異議がなければ、同一性あるものとして、すでに証拠調のなされた原本の代替物として取扱うことになる。

従って、右のように法廷に再製記録を顕出した段階で、焼失前の原本と再製記録との同一性について判断をなし、外部的にも表明しているものであり、特に異議が出され、その点についての取調を必要とする場合を除いては、あらためて証拠調をすることを要しないものと考える。

そこで本件においては、昭和五四年一一月七日の第二七回公判廷において、当裁判所より記録が再製され、これを顕出する旨を述べて、この点について異議の機会を与えたのに対して、被告人永井の弁護人等から「証拠書類については積極的に焼失前の原本と同一であるという意見も述べられないし、又原本と違うとも云えないので、民事的にいえば不知としか答えられない。唯裁判所において調査の上再製されたものであるから、その再製された記録にのっとって手続を進めることについては異議はない。」旨述べている。

右の趣旨は要約すれば、同一かどうか明確ではないが、再製された書類を排除することなくこれに基づいて審理を進めてもよいという意味に理解せざるをえず、結局同一性については特に異議を述べない趣旨と解釈すべきである。

従って、裁判所としては、同一性については何ら異議のないものとして訴訟を進行したわけである。従って本件においては特に同一性に関する証拠調は必要としないものと解すべきことは前記のとおりであるから、弁護人の右主張は失当である。

(四) なお又、前述のとおり再製した書類は、すでに証拠調のなされた証拠書類の代替物と見るわけであって、新たに証拠調をなすわけではなく、同一性が認められれば足りるのであるから、再製記録に作成者及び供述者の署名押印は全く必要ではない。(実際には復写されたものであるから、大部分は作成者及び供述者の署名押印もそのまま復写されている。)

従って、この点が欠けていることを理由として、公判手続の更新によっても証拠となしえないとの主張は、これ又失当というべきであるから、右主張も採用することはできない。

二  アリバイ等の主張について

被告人塚本、同永井及び右両名の弁護人らは、捜査段階で右被告人らがなした自白は任意性及び信用性がないうえ、本件事件当時右両名にはアリバイがあると主張し、また右主張に沿う証言をする証人も存在するので、以下この点について判断を示す。

1 被告人塚本、同永井の捜査段階における自白の任意性について、

被告人塚本、同永井は逮捕後暫くは本件犯行を否認していたものの、その後取調に当った警察官が強制、誘導、拷問、脅迫を繰り返したため、その取調に堪えることができず意に反して本件犯行を認める旨の供述をしたのであって、右被告人らの自白は任意性がなく従って自白調書の証拠能力はないと主張する。

即ち、被告人塚本によると、警察官による取調は朝八時三〇分ころから夜一一時ころまでの長時間に亘ったうえ、取調中は片手錠を施されてひもを机の足につながれ、黙否したり否認したりすると半日位直立の姿勢をとらされたり、机を押してぶつけられたり、数時間に亘って手錠のかかっていない手を掴んで両手の自由を奪うなどの強制拷問を加えられた外、右警察官から「警察は調書さえできれば構わない。作りごとでもよいから認めてくれ。裁判でひっくり返せばよい。」などと自白を強要されたため、供述内容をすべて警察官から教えてもらって調書を作成したといい、また被告人永井によると塚本同様片手錠を施され、返事をしないと手錠のひもを引張られたり、直立不動の姿勢をとらされたり、殴打等の強制、拷問が加えられた外、同人の妻を逮捕するなどと脅迫されたため自白するに至った、また検察官による取調の際も警察官から後刻右同様の拷問等を受けるのが怖くてそのまま自白したというのである。

右主張について、取調担当警察官は片手錠を施した点は認める旨の証言をするが、その余の点についてはすべてこれを否定している。右争いのある点について前記被告人らの公判廷における供述がある外には、被告人らの主張に沿う証拠はないところ(なお、被告人永井の弁護人は、弁護人申請に係る証人らの証言を挙げて、これらの証人に対して、捜査時警察がとった態度からみても、右被告人らに拷問、強制等が加えられたことが推測されると主張するようであるが、右各証人の証言は後に述べるように重要な部分において信用できないうえ、前記拷問、強制等を目撃したものでもないから証拠として採用できない。)、結局この点については右被告人両名の捜査段階における供述調書の記載内容等からこれを決する外はない。

ところで被告人塚本の公判廷における弁明によると、昭和五二年六月二四日は妻の経営するスナック「チェリー」の開店準備をし、午後一〇時三〇分ころ外出して車で一五分位要する下館市内の飲み屋を回り、最終的には翌二五日午前一時三〇分或いは二時ころ情婦G子の経営する飲食店「花」に行き、そのままG子の家に宿泊したため本件犯行現場に居合わせなかったといい、また被告人永井によると、六月二四日午後一一時ころ前記「チェリー」に行き、そこで本件被害者岩田徳次に会ってはいるが、本件犯行時間とされる翌二五日午前一時三〇分ころより少し前に「チェリー」から帰宅しているし、その際岩田が「チェリー」前に立っているのを見たから本件犯行には全く関与していないというのである。

そこで六月二五日午前一時三〇分ころ、「チェリー」前で傷害事件が発生し、それから被告人塚本と同永井の二人掛りで岩田徳次を約一二二メートル離れた路上まで引きずって行き、同路上において岩田を殺害したうえ「チェリー」に戻ったとされるまでの行動につき、右両名が捜査官に対していかなる自白をしているかにつき二、三の点に絞って検討する。

(一) 被告人塚本の供述

(1) 岩田徳次をひきずって行ったときの状況

岩田さんの身体を中心にして、岩田さんの右腕側を私、左腕側を永井が持ち、歩道をひきずって行った

(2) 殺害の方法

仰向けに置いた岩田さんの右腕側に私、左腕側に永井が立ち、その場で中腰になり、私は岩田さんの右腕の肩に近い部分を右手で持ち、左手は首の下辺りにやり、永井は私と反対に腕のところを左手で、首の下辺りを右手で持ち、少し持ち上げるようにして縁石に頭をぶつけたのです

(3) 殺害現場から「チェリー」に戻るときの状況

ダンプ屋の前付近に岩田さんを置いてから、私と永井は店の方に戻り、店の中に入った、「もし車に当てられてはなんねえから端に寄せておけ。」と永井に言いつけてその場を離れました、私が一足先にその場から離れて店に戻り、永井も後から店に戻って来ました、永井が一足先に帰り、私はその場をうろうろしたり、どうしようかと考えたりしていたため少し遅れて店に戻りました

(二) 被告人永井の供述

(1) 岩田徳次をひきずって行ったときの状況

徳さんの右腕を私が持ち、育五郎さんが徳さんの左腕を持ってひきずって行った、育五郎が「永井、おい持て。」と言って、自分で倒れている岩田さんの右腕のわきの下に手を入れて引き起し始めたので、私は岩田さんの左腕のわきの下に右手を差し込んで二人掛りでひきずって行った

(2) 殺害の方法

育五郎さんは徳さんの腕をつかんで遠心力を利用するようにして振り回し、縁石の横側に徳さんの頭を打ちつけました、育五郎は岩田さんの左腕に自分の右腕を差し込んで巻きつけ、左手の平を岩田さんの後頭部にそえるようにし、右腕の力を入れて引張るとともに左手で前につんのめらせたとき「おお」と声を出したので、私はそれが合図と思い、岩田さんの左腕をかかえていた両腕を抜いて放すと、岩田さんの体は右回転するように左肩から落ち、頭を縁石にたたきつけたのです、私は中腰になって右手を岩田さんの股の間から入れて太股辺りのズボンを左手で掴み右腕の肘の上辺りのシャツを掴み、育五郎は左手で太股辺りのズボンを掴み、右手を岩田さんの頭の下に差し入れて頭を持ち上げ、反動をつけて岩田さんの頭を縁石にぶつけました

(3) 殺害現場から「チェリー」に戻るときの状況

「車にひかれたように見せかけるからお前は先に行け。」と言われ、逃げるようにして先に車の所に戻った

ところでHの検察官に対する昭和五二年六月二七日付供述調書で明らかなように、右Hは捜査官に対し、同月二五日午前一時三〇分ころ「チェリー」前路上に駐車中の車の中から、本件傷害及び殺人事件の一部(被告人塚本、同永井の前記自白に関していうならば(1)及び(3)の事実)を目撃した旨の供述をしており、また殺人の実行行為そのもの((2)の事実)に関しては殺人の現場を目撃した旨の供述をする参考人は捜査当時存在しなかったのであるから、右被告人らの取調に当った捜査官が右(1)ないし(3)の事実につき自らの意のままに供述内容を押しつけ、全くの想像で被告人の自白調書を作成しようと思えば、(1)(3)の事実については前記Hの供述調書の記載内容((1)被告人塚本が岩田の右側で、被告人永井が左側に立って脇の下を持ち上げてひきずって行った(3)被告人永井が先に戻ったという事実)に一致させ、(2)の事実については客観的に不合理さのない事実を予め作出したうえ、右被告人らに対して共通の供述内容を得るのが当然である。

しかしながら、被告人らの前記自白内容の記述によって明らかなとおり、捜査官は(1)(3)の事実につきHの供述内容と全く異なる供述を許し、また罪体の最も重要な部分であり一刻でも早く確定させたい(2)の事実については被告人塚本と同永井で容易に一致しないばかりか、被告人永井の供述が著しく変転しているのである。以上の経過は要するに捜査官の追及にも拘らず、右被告人らの供述自体が変転したのに伴って調書の記載内容も変転したことを裏付けるもので、被告人塚本、同永井の捜査時における供述は任意性があると解するのが相当である。

なお、本件の場合片手錠を施したまま取調がなされたとしても、それ自体から直ちに供述の任意性に疑いを差しはさむことはできないし、その他捜査官の個々の言動につきその行過ぎをのべる被告人らの主張もいまだ被告人らの供述調書の任意性を否定するに足るものと思料することができず、他に取調警察官が強制、拷問等を行なったことを窺わせる証拠は認められない本件については右認定を左右することはできない。

2 アリバイの成否について

被告人塚本は前記のとおり、昭和五二年六月二四日午後一〇時三〇分ころ「チェリー」を車で出たまま下館市内の飲み屋「リキホルモン」「津軽」「花」等の店を飲み歩き、そのままG子の家に泊って「チェリー」には戻っていないと主張し、妻A子、「津軽」の経営者丸山健次、その客冨山信昭、「花」の経営者G子、その客永田晴美、犯行時刻ころ「花」にいた被告人塚本と電話で話をしたという工藤加代子も右主張に合致する証言をし、被告人永井は「チェリー」から帰宅する際、本件被害者岩田徳次が生きているのを見たと主張して妻I子もその主張に沿う証言をする外、被告人塚本にアリバイがある以上被告人永井が共犯として犯行に加わったとする点も虚偽であると主張するので、この点について判断する。

(一) Hの検察官に対する昭和五二年六月二七日付供述調書の信用性

Hの右供述調書によると『判示第一記載の傷害事件が発生した後、被告人小嶋は「チェリー」店内に戻り、戸外に残った被告人塚本と永井の二人が倒れて動かなくなった岩田をいずこかにひきずって行き、それから一〇分位経って被告人永井が引き返して来て「チェリー」前路上に停めていた車に乗り込んで急発進させたところ、縁石に乗り上げて動かなくなった。そこで、被告人小嶋が「チェリー」店内から出て来て移動の手伝いをしたが動かなかったので、被告人永井が自宅のレッカー車を持って来て、その車を引張って帰った。他方、被告人塚本は永井がレッカー車を持って来る間に「チェリー」に戻り、レッカー車が去った後三〇分位経ってから車で再び外出した。』というのである。つまり、判示第一、第二の事実のうち殺人の実行行為そのものは見ていないが、その余においては被告人塚本と永井が関与したのを目撃したとして前記アリバイを否定する旨の供述をしているのである。また、この点につき、被告人小嶋もほぼ同時期に同趣旨の供述をしている。

そこで、Hの前記調書の信用性について判断するに被告人小嶋は捜査を通じて殺人の被疑者として取調べを受けていたのであるから、六月二六日に逮捕されて間もない被告人小嶋の、殺人に関与していない旨の供述に無理に合せて、Hに供述をさせるなどということはありえないことであって、被告人小嶋の供述とは別個にHの供述をとったところ、右両名の供述がほぼ一致したと解する外はなく、またHは被告人塚本の血縁の甥であり、かつ終始単なる参考人として取調べを受けていたのであるから、友人にすぎない被告人小嶋をかばったりその他の理由で虚偽の供述をなし、それによって被告人塚本を無実の罪に陥れようとするとは到底考えられない。従って、Hの検察官に対する供述調書は信用性があるものと解される。

なお、Hは後になって警察官に誘導されたり、被告人小嶋から事前に聞き及んでいたことがあったので捜査官に対して虚偽の供述をしたと証言するが、右証言が信用できないことは前記認定の経過及び公判廷における重要な証言部分の変転経緯に照らし明らかである。

(二) 証人飯岡香の証言の信用性

被告人塚本は、昭和五二年六月二五日午前一時ころ情婦Gが経営する飲食店「花」に行き、そこで三〇分ないし一時間程度飲酒したというが、同被告人がその証人として挙げる飯岡香の証言によると『六月二五日零時ころ永田晴美とともに右「花」に行ったが、それから約一時間経って帰るまでの間新たな客は入って来なかったし、勿論被告人塚本にも会っていない。同被告人とは公判廷が初対面である。』という。

証人飯岡香は本件及びその関係人に関しいかなる意味においても利害関係のない第三者であるところ、被告人塚本にアリバイがあることを証言する関係人が多いなかで、敢えて虚偽の証言をするとは考えられないから、飯岡の証言は真実であると解するのが相当である。

(三) その他の証言の信用性

(1) G子、永田晴美、工藤加代子、丸山健次、冨山信昭の各証言

右各証人の証言及び被告人塚本の公判廷における供述を総合すると『六月二四日午後一一時三〇分ころ被告人塚本が「津軽」にやって来て翌二五日午前零時四五分ころ(G子の証言。丸山によると午前一時すぎころ。冨山によると零時五〇分ころ。永田によると午前零時三〇分ころ。)右「津軽」を出て「花」に入った。

他方、永田は前記飯岡と一緒に「花」に行き、塚本が同店に来る以前から飲んでいた。そして塚本が「花」にやって来たので共に飲むうち、午前一時ころ(G子の証言。工藤によると午前一時三〇分少し前。)工藤から「花」に電話が入り、そこで工藤とG子、飯岡、塚本とが電話でやり取りをして切った。永田と塚本は新車の購入について話をし、塚本が新車を購入したいと言ったので永田が水戸日産モータース株式会社に連絡をとることになった。午前一時四五分ころ「花」は閉店して客はすべて帰り、塚本はG子の家に泊った。塚本は六月二五日永田が経営するガソリンスタンドにおいて右会社のセールスマンの新車購入の契約をした。』という。

しかしながら、右各証人が証言する時間帯に被告人塚本が「花」を訪れていないことは前記(二)認定のとおりであるし、更に永田は捜査当時G子からアリバイ工作に加担するよう依頼された事実を捜査官に対して供述しており、また本件事件が起訴されて後も小嶋が証人として出廷する直前に同人に対し氏名を名乗らぬ人物から偽証を教唆する電話が掛かるなど関係者の間で活発なアリバイ工作がなされていた節もあり、前記各証人の証言はいずれも信用できない。

なお、本件犯行現場と下館市内の飲食店「津軽」「花」などとは車で一五分程度しか要しない近距離にあり、被告人塚本も六月二五日午後一一時三〇分ころ現実に「津軽」にいたことが認められるため、比較的多数の証人を作出しえたと考えられ、また塚本が締結したという新車の購入契約も本件事件発生後に手筈を整えうる時間的余裕があり、そのうえ右新車の注文書は六月二四日付になっているなど作為を施しうる余地のあったことが窺われる。

(2) A子、I子の各証言

A子の証言によると『六月二四日午後八時三〇分ころ被告人小嶋が「チェリー」に来て、午後一〇時三〇分ころ被告人塚本が外出した。その後午後一一時ころ被告人永井が、そして翌二五日午前零時ころ被害者岩田が同店に来た。午前一時ころ永井は帰ろうとして一旦外に出たが、車を縁石に乗り上げて動かなくなったため、自分の車を永井に貸してやり永井はレッカー車を取りに帰った。午前一時二〇分ころ閉店したので小嶋と岩田は外に出たが、そこで二人が喧嘩を始め、暫く喧嘩をしていた。翌朝永井の車はなかったが、同人がいつレッカー車を持って来たのかしらない。』という。この点につき《証拠省略》によると、時刻の点はさておき、大筋において右証言と一致するものの、小嶋と岩田が喧嘩を始めたとき、永井はまだ「チェリー」店内に残っていたこと、及び小嶋は岩田と屋外で喧嘩した後再度一人で「チェリー」店内に戻り、永井がレッカー車を取りに帰っている間に閉店したので一人で帰ったと供述している点において捜査時の供述とは異なっている。

即ち、被告人塚本は本件事件発生当時、現場にいなかったとする点では一貫しているが、被告人永井については、捜査時には永井は「チェリー」にいたと供述していた点が、起訴後には永井は現場付近におらず、従って事件に関与しうる可能性はなかったと変化しているのである。

右推移は、判示第二の殺人事件につき被告人塚本と同永井とが共犯として起訴され、A子自身夫をかばうためには永井のアリバイを完ぺきなものにする必要のあることが意識されるようになったため証言内容も変ったと解するのが自然である。

次に、I子の証言によると『六月二五日午前零時五七分ないし五八分ころ被告人永井がレッカー車を取りに返って来た。その後乗り上げた車を「チェリー」前路上から引き出し帰宅したのは午前一時二五分ころである。』から犯行時刻である午前一時三〇分ころには永井は現場にいなかったというのである。しかしながら、被告人永井の妻である右証人が時刻を確認した時計の正確さをいかに強調しようとも、右証言の真実性を担保するものではなく、従って前記(一)、(二)、(三)(1)に照らし右証言も信用できない。

3 被告人塚本、同永井の捜査段階における自白の信用性について

以上のように、関係者の間でアリバイ工作がなされたこと自体、右被告人らが本件殺人に関与していたことを裏付けているが、弁護人らは細かな事実をとらえて自白の信用性がないと主張するので、若干の点について判断する。

(一) 右両被告人の捜査時における供述の変転

本件三被告人のうち、小嶋は当初から傷害事件に関与したことを認めていたのに反し、塚本及び永井は当初これを全面的に否認し、自白を開始してからもその供述内容に変転がみられることは、前記二1に指摘するとおりである。例えば、塚本についてみると、岩田の死体を最終的に遺棄したのは永井ひとりであるかのような供述をしているし、また永井についてみると、塚本と二人で岩田を殺人現場までひきずっては行ったが、現実に殺人の実行行為をしたのは塚本ひとりであると供述していたこともある。しかし、このような重要な内容についての供述の変転は、右供述の信用性を損なうものではなく、罪責をいくばくかでも軽減しようと図った結果であって、却って最終的に得られた供述の信用性を高めているものといえる。

(二) 自白に記載された方法による殺害の可能性

本件殺人は要するに、塚本と永井の二人掛りで岩田の太股辺りと肩付近をそれぞれ持ち上げて、同人の頭頂部を縁石にぶつけたというものである。右方法の可能なことは証人青木光一の証言や経験則に照らして明らかである。

(三) 殺害の動機

被告人塚本の検察官に対する昭和五二年七月八日付供述調書等によって明らかなように、被害者岩田徳次は酒癖が悪く本件一〇日位前にもスナック「チェリー」で他の客にからむなど目に余る行為があったため、塚本は同人を快く思っていなかったことが認められる。従って本件においても「チェリー」前路上で岩田との間に喧嘩が始った際、塚本が同人に対して暴行を振うに至ったことも自然の成り行きである。ところが予期に反して、岩田にひん死の重傷を負わせたため、その発覚を恐れて交通事故に見せかけて岩田を殺害しようと決意したのである。

弁護人は当裁判所の認定と相反する事実を前提として殺人の動機がないと主張しているのであって、右主張は失当である。

(四) 衣服に血痕が付着していない点

被告人小嶋の着衣からは血痕が検出されているが、塚本及び永井が本件当時着ていたとする衣服からは確かに血痕は検出されていない。しかし、本件の犯行態様においては必ず血痕が付着しなければならないものではないし、またそもそも塚本は殺害後「チェリー」に戻り階上の居室で着替えをなしうる余裕があり、更に本件のようにアリバイ工作がなされては当時の着衣すら確定できない。永井に至っては六月二五日朝妻I子が当時の着衣を洗濯してしまったというのであるから、血痕を検出しえなくとも不思議ではない。

(五) ルミノール反応

被告人塚本、同永井の供述調書によると、本件傷害後スナック「チェリー」前路上から岩田を北東方向(結城方向)に向って歩道上をひきずって行き、途中通称ダンプ屋と呼ばれる家(《証拠省略》によると「チェリー」の北東約一一〇・五五メートル離れた網本方と認定される。)から歩車道の境界として断続的に設置されているコンクリート製縁石の切れ目を通って車道に入り、その少し先で岩田を殺害したと供述している。他方、《証拠省略》によると、「チェリー」前路上から網本方付近に至るまでの歩道上及びそこから岩田の死体放置場所に至るまでの車道上にルミノール反応があったが、更に死体放置場所から結城方向に約四二・一メートルにわたる車道上にもルミノール反応があったことが認められる。そこで、弁護人は、塚本や永井の供述調書には死体放置場所から更に結城方向に向けて車道上をひきずったとする記載はないから、右供述調書は信用性がないというのである。

ところで《証拠省略》によると、警察による本件ルミノール反応試験の実施状況は次のとおりである。即ち、最初「チェリー」前から結城方向に向けて歩道上にルミノール試薬を噴霧したところ右摘示のような反応を呈した。次いで死体放置場所から北東に四二・一メートル、南西に六メートルの範囲で車道上に試薬を噴霧したところ、右摘示のような反応を呈した。そして、そのころルミノール試薬がなくなったので試験を中止した。そして車道上の反応のうち結城方向の反応は歩道上の反応に比して発光が弱く、また等間隔であり、死体放置場所から四二・一メートルより先について試験を実施しても際限なく発光が続くものと思われたので、これ以上続けても無駄であると判断したというのである。

さらに《証拠省略》によると、そもそもルミノール反応は必ずしも人血についてのみでるものではなく、油類、魚汁等についても化学発光がみられるのであるが、但し人血の場合は他に比して顕著で長時間の発光のみられるのが通例であるという。従って、前記発光状況に鑑みると、死体放置場所から先の結城方向四二・一メートルにわたる車道上の発光は車の油類等によるものとも解せられ、人血であると断定することもできないところであるから、被告人らの供述調書に反する事実ではなく、この部分に関する記載がないからと言って被告人らの供述調書の信用性がないとする主張の失当であることは自明である。

(累犯前科)

被告人塚本育五郎は、昭和四六年五月一七日水戸地方裁判所下妻支部において傷害、脅迫、賭博開張図利、道路交通法違反の各罪により懲役一年二月に処せられ(同年一〇月五日確定)、昭和四七年一一月二六日右刑の執行を受け終ったものであって、右事実は《証拠省略》によってこれを認める。

(法令の適用)

被告人三名の判示第一の所為はいずれも刑法六〇条、二〇四条、罰金等臨時措置法三条一項一号に、被告人塚本、同永井の判示第二の所為はいずれも刑法六〇条、一九九条に、被告人塚本の判示第三の一、二の所為はいずれも同法二〇四条、罰金等臨時措置法三条一項一号に、判示第四の一の所為は刑法二二二条一項、罰金等臨時措置法三条一項一号に、判示第四の二の所為は昭和五二年法第五七号による改正前の銃砲刀剣類所持等取締法三二条二号、二二条に各該当するところ、判示第一、第三の一、二、第四の一、二の各罪につき所定刑中いずれも懲役刑を、判示第二の罪につきいずれも有期懲役刑を選択し、被告人塚本には前記の前科があるので刑法五六条一項、五七条により、但し判示第二の罪については同法一四条の制限内で再犯の加重をし、被告人塚本、同永井の以上の罪は同法四五条前段の併合罪なので、いずれも同法四七条本文、一〇条により最も重い判示第二の罪の刑に同法一四条の制限内で法定の加重をし、以上の刑期の範囲内で被告人塚本を懲役一〇年に、同永井を懲役五年に、同小嶋を懲役一年六月に各処し、同法二一条を適用して被告人塚本、同永井に対し未決勾留日数中各七〇〇日をそれぞれその刑に算入し、情状により同法二五条一項を適用して被告人小嶋に対してはこの裁判確定の日から三年間その刑の執行を猶予し、押収してある切出しナイフ一丁は判示第四の二の罪を組成した物で犯人以外の者に属しないから同法一九条一項一号、二項本文によりこれを被告人塚本から没収し、訴訟費用は刑事訴訟法一八一条一項但書により被告人塚本、同永井に負担させないこととする。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 安間喜夫 裁判官 佐々木一雄 竹中良治)

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